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プロフィール
街興士(まちおこ士)林 秀人 略歴
1966年(昭和41年) | 7月12日生 |
1978年(昭和53年) | 知多市立新田小学校卒業 |
1981年(昭和56年) | 東海市立加木屋中学校卒業 |
1984年(昭和59年) | 大同高校知多分校機械科卒業 |
1986年(昭和61年) | 東海工業専門学校建築意匠科卒業 |
1986年(昭和61年) | 愛知模型コンサルタント入社 |
1989年(平成 元年) | 愛知模型コンサルタント退社 |
1989年(平成 元年) | 発明・商品開発 スキーインストラクター |
1991年(平成 3年) | 山田照明株式会社入社 照明デザイン・設計に従事 |
1994年(平成 6年) | 結婚(つつじが丘に住み始める) |
1995年(平成 7年) | 長男誕生 |
1996年(平成 8年) | つつじが丘神輿保存会 入会 |
1997年(平成 9年) | 山田照明株式会社退社 子育てをしながら環境問題・社会情勢を研究 |
1998年(平成10年) | デザイン業 ゼネラルエコロジック開業 |
2000年(平成12年) | 「知多市情報交換市場」開設 |
2001年(平成13年) | 知多ロータリークラブ入会 |
2004年(平成16年) | NPO法人 新青樹 設立に参加 |
2008年(平成20年) | つつじが丘神輿保存会 厄年会 会長 |
2009年(平成21年) | 知多市 市民まつり実行委員会 事務局長 |
2011年(平成23年) | 知多市議会議員初当選 |
2015年(平成27年) | 知多市議会議員2期目当選 |
2019年(令和3年) | 街興士活動開始 |
街興士(まちおこ士)林 秀人のあらすじ
■小学生の時、「十五少年漂流記」を読み、猛烈に感動し冒険家になろうと思いました。十代の頃は、野宿をしながら徒歩やバイクでよく旅に出ました。 ■高校卒業後、専門学校でインテリアデザインを学びました。卒業後、建築模型を制作する会社に勤めモノづくりの基礎を習得しました。3年で退職し、習得したモノづくりの技術を活かし、発明家を志しました。アルバイトをしながら特許取得を目指しましたが色んな面で甘かったです。断念しました。この間、冬の間は大好きだったスキーを極めようとインストラクターもしました。一人で韓国にスキー修行に行ったときは、現金、パスポート、トラベラーズチェックを盗まれましたが、韓国の人に親切に助けていただき、良い思い出となりました。 ■3年間の発明家を目指す生活で色んな事にチャレンジしましたので、充電した力を試すためもう一つのやりたかった職業、工業デザイナーを目指しました。制作した品々を鞄に詰め込み面接に行き、照明器具メーカーに雇っていただきました。あこがれの東京でデザイナーです。でも、やっぱり知多市に帰りたい。2年ほどで無理矢理、名古屋勤務に変えてもらいました。名古屋ではナゴヤドームの照明器具をデザイン・設計し完成を見届け退社しました。 ■退社したのは、この先、激動の世の中になることを感じたからです。今までの経験則が通じない大変な世の中になると直感しました。特に環境問題が大きなテーマになると予想しました。退社後は、子育て、就職活動をしながら今後の世の中の動きを見極めるための調査・研究に時間を費やしました。その結果、再就職はせず、社会問題の解決を目的に創業の道を歩むことにしました。テーマは「環境」。 ■調査・研究から、環境問題の解決には地域構造の変革が最も重要であることが分かりましたので、その手段として地域のお店・会社に印刷物や広告、ホームページのデザインを提供する事業を始めました。しかし、起業は想像を絶する大変さでした。好転のきっかけは私の事業が新聞記事になったことでした。今は知多市外からの受注もいただくようになり、名古屋市内の大規模な不動産プロジェクトの広告企画・デザインもさせていただいております。 ■このような経験を活かし、知多市を良くしていくために、社会問題の解決を目的とした事業とともに、知多市議会議員として2期8年間、政治活動を行わせていただきました。 ■3期目を目指し立候補したのですが、惜しくも次点で落選しました。この3回目の選挙では、自分の理想の選挙を行ってみたいと思い、選挙事務所と街宣車を使わず、主にネットやSNSで政策を訴えるのみの選挙運動としました。また、市内120箇所以上の選挙ポスターは自分ひとりで自転車で貼りました。無謀な選挙でしたが、「本当の選挙、あるべき選挙活動」との評価の声もありました。このような選挙運動を行った理由は、地域の代表「おらが町の先生」ばかりでは街が良くなっていかないと考えたからです。やる気と熱意があって、街の課題を解決したいと望む若い人に、お金をかけなくても、一人でも、選挙はできるんだということを証明したいと挑戦しました。 ■市会議員を終えたあとは、2期目の途中から考えていた「民間からの街興し」活動に専念することとし「街興士(まちおこ士)」活動を開始いたしました。 |