有楽斎没後四百年記念特別御城印と有楽斎武将印の頒布が始まりました!
- 2021/10/5
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有楽斎の没後400年を記念し特別御城印を頒布
今日は、「有楽斎没後四百年記念特別御城印」と「有楽斎武将印」の頒布開始のご案内をさせていただきます。
大草城の城主であった織田長益(有楽斎)は、江戸時代の元和7年12月13日(西暦1622年1月24日)に亡くなりました。令和4年1月24日は有楽斎の没後400年の記念の日となります。
そこで、有楽斎の遺徳を偲び、私が運営する㈱縄文堂商会において特別御城印を発行します。
織田長益(有楽斎)武将印も同時発行
また、日本全国の武将ゆかりの地などで発行されるようになった「武将印」も今回新たに発行させていただきます。
頒布のご案内
頒布場所
■慈光寺(愛知県知多市大草字西屋敷3 大草城から西に徒歩5分)
■地蔵寺(愛知県知多市大草東屋敷43‐1 大草城から北東に徒歩5分)
■㈱縄文堂商会(愛知県知多市にしの台4丁目12-1 大草城から車で15分)
■知多市観光協会(愛知県知多市岡田段戸坊 5番地 大草城から車で15分)
有楽斎でまちおこし
私は、有楽斎でまちおこしをしていきたいと考えています。市内の事業者さんなどと、有楽斎を題材とした商品やサービス等の開発を行うとともに、観光につながるような情報発信を行っていきたいと考えています。
有楽斎と大草城は知多市における第一級の歴史的資産との認識を持ち、民間主導で盛り上げていくために、戦国武将であり茶人である有楽斎から発想した商品やサービスのアイデアを具現化するとともに情報発信等、お手伝いさせていただきたいと考えています。
また、複雑で変化の激しい現代社会において、有楽斎の生き様は参考になることと思います。まちおこしを通じて、子どもたちに郷土にゆかりのある有楽斎のエピソードを伝えることで、教育効果も期待できます。
有楽斎(織田長益)
織田信長の実弟で、大草城の城主。本能寺の変を生き延び、関ヶ原の戦いで武功を挙げた戦国武将。千利休に茶道を学び、後に「有楽流茶道」を創始。東京の有楽町という地名は有楽斎の屋敷があったことが由来。愛知県犬山市の国宝茶室「如庵」は有楽斎によって建造された茶室。
「戦国一の世渡り上手」有楽斎
本能寺の変では信長の嫡男で織田家当主の信忠と行動を共にしていましたが、信忠は自害するも有楽斎は岐阜に逃れました。また、関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍に属し武功を挙げています。
その後、大阪冬の陣では豊臣家の家臣として徳川方との交渉役を務めますが、夏の陣を前に大阪城を出ています。
このようなことから有楽斎は、時代の流れを読む力が非常に優れている、いわば「戦国一の世渡り上手」の側面を持っているといえます。
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